隙間風をも通さぬ部屋。
それでも空気は澄み。
時折肌を擦るほど。
その部屋に響く、僅かな音。
さらさらり。
漆黒の墨が純白を埋めていく。
墨を生み出していた毛筆がくるりと踊る。
やがてそれは宙に上げられ硯の横に。
カタリ。
「あ」
短い悲鳴と共に、毛筆はそのまま畳の上へ。
ああしまったと秀長は上半身を動かす。
と、
「如何なされましたかっ」
切羽詰った声と共に障子がすぱんと開かれる。
反射的に彼は顔を上げた。
同時に感じる澄んだ秋気。
そして筆へ手を伸ばしたまま、今度紅葉狩りに行こう、と思った。
「・・・」
今まで通りの静寂。
障子を開け放った体勢のまま、高虎は小首を傾げた。
彼の見る限り、別段これといった変化はない。
否。
「秀長様!筆が!」
「あ」
半ば悲鳴じみた高虎の声に秀長は即座に筆を拾う。
じわり墨が滲み出ていた。
墨は僅かながらにも畳を染めていた。
それはもはや落ちそうにも無い。
「畳がっ。秀長様の畳がっ」
大きな体躯に似合わずわたわたと慌てる高虎。
筆を置き、秀長はくすりと笑う。
「高虎。これぐらい、気にするな」
「ですが」
「私がいいと言うのだから、ね」
苦笑を深めたその秀長の目に気になるものが飛び込んできた。
問答無用。無言で胸の高さまで取り上げる。
「ぁ、あのっ」
突然手を掴まれた高虎が慌てる。
手を引っ込めるに引っ込められない。
金魚のように口を開くだけだった。
ほどなくして秀長は手を離す。
離した手をそのまま、
「こら」
ぴしゃりと叩く。
高虎は一瞬肩を震わせ瞬きを数度。
「もう寒い時期だろうに。何刻から外にいた」
「・・・」
ひたと睨み据えられ高虎は言葉を詰まらせた。
沈黙。
俯く彼に、秀長は気付かれぬほどのため息を洩らす。
「作助を呼ぼうかな」
「え」
訝しげな表情をして高虎が顔を上げる。
それに気付かぬ振りをして、
「茶室で休憩しよう」
秀長が立ち上がる。
表情を変えぬままでいる高虎を見、
「おいで」
と微笑む。
高虎の頬に春風一陣。
「はいっ」
すっくと立ち上がる。
暖かな、茶席へ。
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反転で呟き。
「おいで」
て大変萌ゆる台詞だなぁ、としみじみ思います。
しっとり微笑まれて言われると最高。
大好き。
2008.10.25