拗けた人。


外の空気もひんやりと涼む頃。

ああもう子ども等は野遊びから親の元へ帰って行くのだ。
もしくは親が子どもの手を引き並んで帰って行く。
夕日をうけながら。
眩しそうに。
楽しそうに。
幼い頃は実にそれが羨ましかった。
野遊びにふけった時がある。
独りで馬を走らせるのだ。
夕日が沈みゆき辺りに闇が訪れても。
僅かな希望を託して。

けれど父は迎えに来なかった。
嗚呼仕方のない事だと、
納得させるしかなかった。
確かに父は忙しい事この上ない時期だったのだから。
もう分別ある年なのだからと思われたのかもしれない。
それは良い事ではあるのだが。
ひとり帰ろうかと諦めた時、大きな影が見えた。
目を輝かせて駆け寄る。馬を痩せた木に繋げたまま。
迎えに来たのは、あの血の繋がらない兄。
兄と慕ってきた者。



さて。
どうしたものかと腕組をし、部屋の前を数歩歩く。
そしてくるりと反転。
また数歩歩く。
この繰り返しを数回。
はたからみれば随分と怪しいだろう。
しかしながら辺りに人影は無し。
妙な緊張感を味わいながら、長政は眉間に皺を寄せた。
誰かが来る前に・・・言わなければ。
一言でよいのだ。
そう、一言で。





「若」

突然背後から声を掛けられる。
びくりと肩を大仰に震わせて振り向く。
少し前まで誰もいなかったこの廊下には、
「ま、たべ・・・」
又兵衛がいた。
長政は嫌と言うほどに聞こえる心臓の音を気にしながら、辛うじて声を出すことが出来た。
「なんだっ」
「なんだと言われましても」
そこは儂の部屋です、と又兵衛は呆れ返る。
又兵衛に理があった。
長政はさっと顔を赤く染めて又兵衛を睨み付け、
「別になんでもないわっ!」
わざと大きな音を立てて長政は離れていく。
何か用があったのではないのか。
見送った又兵衛は、ただ軽くため息をついた。
しかしそのため息は決して嫌悪感から出たものではなかった。




「どうした、長政」
官兵衛は物言わぬ息子の肩を叩いた。
突然ガラリと入ってきたかと思えば・・・
と、肩をすくめる。
長政は書面と向き合う父の隣にちょこんと座り、そのまま微動だにしない。
肩を叩いても反応を示さなかった。
どうせ又兵衛と張り合ったり喧嘩したりなんだりだろうと官兵衛は推測する。
いつもの事なのだ。
又兵衛ならば実に素直に言う事を聞いてくれるのだが、この息子はそうはいかなかった。
いや実際はよく働いている。
実の息子だからこそよく目につくのだ。
だがしかし、思っていても上手くは行かない。
幾度思ったことか。
官兵衛は思案に余って長政の横顔を見つめていたが、
「・・・」
話さぬならもう良い。と官兵衛はまた書面を手に取る。
その時長政の、膝に乗せた拳が握り締められるのがふと見えた。

「先の模擬合戦で・・・」
長政がゆっくりと話し出す。
書面の文字に合わせて上下に動かしていた官兵衛の目が止まる。
「又兵衛に、助けられました」
ちらと官兵衛は長政を見やる。
「・・・危ない、所でした」
「ほう。流石又兵衛だな」
官兵衛はにやりとして言う。
そのさり気ない事に長政は微かにいらついた。
「父上のお気に入りなだけあります」
長政にとっては精一杯の皮肉を込めたつもりだった。
しかし官兵衛には皮肉として受け取られたのかもわからない。
「そうだろう」
と父は満足そうに頷くだけだった。
長政が再び沈黙する。
その様子を見て官兵衛は仕方なさそうに書面を置いた。
「それで、悔しいのか」
そう問うと長政はこっくり頷く。
「助けられたのだろう」
「はい」
「礼はしたのか」
「・・・助けろとは言っておりませんから」
「その事、又兵衛にも言ったのか」
「はい」
「言い合いになったのか」
「いいえ。奴は笑っただけでした」
「何か言い返したのか」
「・・・」
言い返したのか。
官兵衛は盛大にため息をついた。
そして一言。
「馬鹿者」

それっきり官兵衛は口を閉じた。
書面を読み下す速さは、先ほどより少し遅かった。


しばらくして。
ぐっと唇を噛み、長政は立ち上がる。
官兵衛がこれ以上話すことはないと判断したのだった。
そしてズカズカと何も言わずに部屋を出て行く。
長政は、
所詮父上は又兵衛の味方なのだと。
そう思わざるを得なかった。
加えて、又兵衛の力量は側で嫌と言うほどに見せ付けられてきた。
強さを認めている反面、悔しい思いが駆け巡る。
けれど・・・






またこの部屋の前まで来てしまった。
どこかで感謝しているのだろう。
それはわかる。
あの時又兵衛がいなければ当主の息子は無様に倒れていたのだ。
たとえ模擬であっても無様であってはならない。
思っていてもそう素直にはいかない。
ましてや又兵衛は父の寵愛を受けている。
長政は余計に悔しく思えた。


部屋の前まで来ると足を止める。
ああせめて重門を連れて来れば良かったかなと後悔した。
亡き父譲りの頭脳を持つ、と言うと彼自身は眉を顰める。
が、長政はそう思っている。
面と向かって褒めたことなどはないが。
その時。
がらりと襖が開いた。
瞬間、長政は思うより長く思案に暮れたのだと感じた。
同時に後悔も僅かながら。
「どうかしましたか」
ぶっきらぼうに黒い影は訪ねる。
部屋の明かりと廊下の暗さで、又兵衛は大きな黒い影となっていた。
その影に多少圧倒されながらも。
長政は何度か口を開く。
けれどもしかし、何も言えずに閉じる。
長政がもごもごとしていると、又兵衛は踵を返し部屋の中へ。
また呆れられたのか。
長政は自分の不甲斐無さに腹が立った。
しかし、
襖は開けたまま。
これは、
待ってくれているのか。
長政はそのまま彼が座るのを眺めた。
余計な物は一切置いていないのか、部屋の中は実に質素で。
中央は少し散らかっている。
先ほどまで獲物の手入れをしていたようだった。

虫の囁きだけが嫌に響いていた。
それを打ち消すように
「で、」
まるでどちらが主なのかという態度で又兵衛は促す。
言いたいことがあるなら言え、
という目をしていた。
「・・・」
腹の立つのをなんとか抑えて。
長政は口を開く。
「さ、先のだな」
又兵衛はじっと長政を見つめていた。
ぴたりとそれに合わせることもできなくて。
又兵衛の足元にある獲物を長政は見る。
獲物は使い込んで古い風はあるが、よく手入れが為されていた。
よほど大切にしているらしい。
そこで長政は我に返る。
獲物のことはどうでもよいのだ、と長政は僅かに頭を振った。
言わなければ。
一言でよいのだ。
そう、一言で。
「模擬合戦で、」
「若」
やっと長政が言おうとするのを又兵衛は遮った。
何をするのだ、と
不満げに長政は又兵衛を見やる。
又兵衛は僅かに笑っていた。
「恩返しでもなさるおつもりか」
「なッ」
「あれしきのことで。大層なお方だ」
せせら笑うように長政には見えた。
実際そうなのかはわからない。
「なんだと!」
「時をもっと有意義にお使いなされよ」
「・・・時?」
「この又兵衛に礼をする暇があるのならもっと別の事をしなされ」
そういって又兵衛はにやりと笑う。
その笑みは、
決して皮肉っぽくもなく。
いつもの余裕や茶目っ気の溢れる笑みだった。
長政は解しかねて黙っていた。
又兵衛がひとつ頷く。
「しいていうなれば、儂が若を助けた分、若は他の者をお助けする」
これがよかろう、と満足気に言った。
「それではお前には」
直接の礼はせずともよい、ということか。
長政は少し首を傾けた。
その様子を見、又兵衛は喉の奥で笑う。
「若を助けるたび、部屋の前をうろつかれては困りますのでな」
「・・・ッ」
その随分な口調に、長政はカッと頬を赤く染める。
だが不思議と見た目ほどには怒りが満ちなかった。


「精進なされよ」
「言われずともわかっておるわ!」
部屋を出て行く際、ちらと長政は振り返る。
又兵衛はもう長政を見てはいなかった。
こうも違うものなのか。
年の差というものを改めて大きく感じた。







「お前ももう少しあ奴に素直になればのう」
官兵衛は幾度も思った事を口にする。
熱い茶の入った湯飲みを渡しながら又兵衛は、
「理由は殿もよくお分かりかと思いまするが」
「言うてくれるな」
官兵衛の照れ臭そうな笑みに、又兵衛も微笑で返した。
熱い茶を官兵衛はゆっくりと啜る。
「頭ではわかってもどうもうまく出来ぬ。存外難しいものだ」
「はい」
「大変世話になった御方に言われたことがある」
あの竹中殿か。
又兵衛はすぐに考え付いた。
「恩人に直接恩返しが出来ずとも、別の者を救えばそれでよいと」
「同感です」
静かに又兵衛が言うと、官兵衛はゆっくりと笑った。
「そうか」
「はい」
「・・・少し外が見たい」
障子を開けてくれ。
官兵衛の呟きに、又兵衛は素早くそして静かに障子を開く。
涼やかな風が一陣 二人の頬を掠めた。








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反転で呟き。
無理矢理半兵衛を押し込んだ感がありつつでもどう直したら良いのかも思いつかなかった、んです・・・
2008.7.24