猫と虎。


にゃ〜ん。



そんな小さな鳴き声がした。
どこぞの猫が迷い込んだのか。

飼い猫ならば、大方あの秀吉様子飼い衆が逃がしてしまったのだろう。
野良猫ならば、食べ物でも求めに来たのだろうか。
それとも迷い込んで彷徨っているのか。

高虎はそう推理しつつ、主の部屋へと向かった。






失礼致しますと襖を開けて。
はた、と止まる。
「・・・」
目の前には、
にゃんにゃんと猫が戯れているのだ。
先ほどの鳴き声はもしかしてこいつなのかと高虎は思う。
まあそれはよいのだ。
高虎にとって重要なのは。
その猫は、よりにもよって。
秀長の膝に乗りながら、ごろごろと喉を啼らしている。

まだあの方の膝にすら触れられていないのに・・・!
高虎はギリ、と歯を食いしばった。


「高虎」
つと呼ばれて顔を上げる。
慌てて平静な表情であるよう高虎は努めた。
そんな事はいざ知らず。
秀長は猫を撫で撫で、御苦労様と微笑んだ。
「仕事が早くてとても助かる。ありがとう」
「いえ、そんな・・・」
ありがとう、と言われると。
高虎は頬を微かに赤らめ地面に視線を落とした。
そしてふと気づく。
あの方は猫なぞ飼っていたのかと。
「秀長様、その猫は一体どこから」
二人して猫を見やると、猫はそれに気づいたのか一声啼いた。
「迷い猫だろう。庭先に丸くなっていたのだが、可愛くて」
つい、抱いてしまった。
と照れ臭そうに秀長が言う。
「猫が、お好きなようで」
「うん。ほら、こうすると」
言って猫をぐりぐりと撫でると、
「可愛いだろう?」
擦り寄ってごろごろと甘える猫を見て、秀長は微笑んだ。
猫は彼に随分と懐いている様だった。
「そう、ですね・・・」
高虎の嫉妬心含む視線を猫は軽く流す。
嗚呼たかが動物ではないか。
そうは思っていてもしかし何とも言えない気持ちが残る。
どうにかしなくてはと高虎が考えたのは、
「ですが」
「ん?」
「迷い猫となれば早く飼い主にお返しなさらねばいけません」
一刻も早く飼い主を探し出すことであった。
「あぁ、そうだな」
少し寂しそうに秀長は頷いた。
この迷い猫が気に入ったのだろう。
けれど、
「・・・探しに行かないと」
飼い主が今頃困っているだろうと考えて。
猫を抱いたまま立ち上がる。



そうして。
探しに行こうかとしたその時に。
「秀長様」
別の声がした。
高虎が庭へ目を向けると、その人物がいた。
着物の袖をたくし上げ、鍛え抜かれた腕が露になっている。
そんな彼は二人のほうへ少し足早に歩いて来た。
その姿を認めて、
秀長が朗らかに声を掛けた。
「孫六!随分と涼しげな格好して」
「・・・暑いので」
孫六が縁側まで来ると、秀長も縁側に歩み寄りにっこりと微笑む。
「水でも飲むか?」
こっくりと孫六が頷く。
それを見て秀長は振り返った。
「高虎。水を一杯、もってきてはくれないだろうか」
「は」
軽く一礼すると、高虎は立ち上がった。


襖を閉める。
中から秀長の楽しげな声が聞こえた。
「・・・」
もう孫六ではなく嘉明と名を変えたであろうに。
まるで幼い子に構うようにして。

高虎はむすっとしつつ、その部屋を離れた。






そしてまた水を持ち戻ってくると。
秀長の隣にぴたりと孫六が座っていた。
「秀長様」
「あ、高虎。その、すまなかった」
高虎がすっと盆ごと差し出す。
秀長には、呼びかけが妙にとげとげしく聞こえたらしく、申し訳なさそうに水を受け取った。
「孫六。高虎に礼を」
水を手渡しながら、秀長は声を孫六に声を掛ける。
「どうも・・・」
そのぶっきらぼうな言い方に高虎は眉を僅かに上げた。
が、秀長の前だからと堪える。
けれどもそんな雰囲気は伝わってしまうもので。
険悪な雰囲気を感じると、秀長は一筋汗を流した。
寒い雰囲気で涼しくなるのはあまり気持ちが良くない。
秀長は何とかしようと試みた。
「高虎、この猫の飼い主が見つかってな、」
「それは一安心です」
「すぐに見つかって、私も驚いているよ」
「そうですね。それで・・・」
「うん。なんと孫六が飼い主だったのだ」
「・・・」
にこりと秀長と高虎お互いが微笑んだ。
和やかな顔をしながらも、空気が張り詰めたのを秀長は再び感じた。
後悔しても遅かった。

それを全く感じないかのように、
「秀長様が、見つけて下さるなんて」
孫六が秀長に微笑んだ。
ああ良かった、とでも言うかのように秀長はほっとした。
「たまたま庭を歩いていたから」
「でも・・・ありがとうございます」
「そういえば犬も拾ったと、聞いたことがあったが」
「・・・犬も、好きです」
「そうか。孫六は動物が好きなのだな」
よしよし、と親が子にするように秀長が頭を撫でる。
孫六はくすぐったそうに、けれども嬉し気にした。

そんな微笑ましい光景を高虎は厳しい目をして見ていた。
ちらりと猫が高虎を見やり、すぐ視線を逸らす。
高虎にはそれが、
どうだ。羨ましかろう。
とでも言っているかのように見えた。
飼い主に似るというのは、本当だと高虎は拳を握り締めつつ、感じた。
よりによって何故嘉明の猫なのか。
この猫はわざと来たのではないか。もしくは嘉明が。
高虎はそう感じえずにはいられなかった。



「秀長様、そろそろ」
お仕事を。
という意味を含めて、呼びかけた。
秀長は思い出したというように声を上げると、苦笑した。
「あぁ、すまなかった。少しの息抜きのつもりが」
そして膝に乗せていた猫を孫六へと手渡す。
「では、孫六。今度からきちんと見ておくのだよ」
「はい」
孫六は素直に頷くと、秀長に一礼し、下がった。
その下がっていく瞬間。
鋭く高虎を睨みつけた孫六に秀長は気がつかなかった。




「・・・」
さて、と机に向かう秀長。
それを高虎は何を言うでもなく眺めていた。
視線を感じたのだろうか、
「高虎?」
何かあるのかと、秀長は顔を上げる。
声を掛けられ、高虎は数度瞬きをすると、微笑んだ。
「いえ何も御座いません・・・」
「そうか。なら良いのだが」
墨に筆を浸す。
そして秀長はさらさらと流れるように文字を書き出した。
真っ白い紙があっという間に文字で埋まっていく。
高虎は正座したまま、動かなかった。
秀長が、
「こんな所で待っていては疲れるぞ」
と声をかけても
「お側に、います」
高虎は口数少なくそう答えるだけだった。
「・・・そうか」
似たようなやりとりが数回繰り返され。

やがて苦笑と共に秀長が諦めた。






あれからどれほど経ったのか。
高虎はハッと目を覚ました。

寝ていたのか。
・・・寝ていただと!?

がばりと身を起こすと、肩からすると何かが落ちた。
高虎が後ろを振り返る。
「これは、胴服・・・?」
呟くようにいうと、前でかさりと紙の音がした。
「起きたか」
「秀長様!あの、」
高虎が慌てて身なりを整え正座をすると、秀長がくすりと笑った。
「ぐっすりと寝ていた。疲れていたのだろうね」
「申し訳ありません・・・」
「気にするな」
秀長は微笑みつつ、紙束を持って立ち上がる。
「これから兄上の所へ行って来る。ついでに何か甘い物でも貰ってこようか」
疲れたときには甘い物が良いのだよ、と笑った。
「そんな、滅相も無い」
「二人で休憩すれば問題ないだろう」
「し、しかし、その」
再び秀長はくすりと笑うと、片方の手で紙束を支える。
「心配するな」
そして空いた手で、ぽむと高虎の頭を撫ぜた。
秀長はそのまま 行って来る、と部屋を出て行く。

子ども扱いされたのだろうか。
それとも、不機嫌な態度がまるわかりだったのか。
それとも。



高虎は目を見開いて。
しばらく、
正座したまま動かなかった。









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反転で呟き。
頭なでなで、大好きです。
2008.6.28