虹蔵不見。


一歩でも踏み出さば。
何枚も重ね着したとしても感じる冷気。
盛親の目は粗末でも壮麗でもない庭を見つめ、やがて上方へ向けられた。
陽光はか弱く、雲行きが盛親にはどことなく怪しく感じられる。

盛親はぶるりと身体を震わせた。
冷えた己の手で口元を覆い、温める様に
「はあ・・・」
ゆっくりと吐き出された息は指と指の隙間を抜けていく。
その白さに改めて盛親は思う。
「雪の季節、か」
「そろそろ雪のちらつき出す頃でしょうねぇ」
突然の声。
盛親がびくりと肩を震わせ身体ごと横を向けばそこには、
「全登殿・・・!」
「はい、なんで御座いましょう」
にっこりと微笑み佇む彼に、盛親は呆れ返った。
金魚のようだった口になんとか声を加える。
「勝手に、入り込まないで頂きたい!」
「居心地が良いもので」
「・・・貴方自身の陣屋が本来居心地の良い場所では」
「良いじゃありませんか」
と、まるで子供をあやす様に、
「ほら。手土産持参ですよ」
手土産を己の顔の高さまで上げて見せた。
「・・・」
盛親がほんのり苦笑すると、全登は勝利を確信した。
あとは押し切るだけ。
「御茶が実に合う南蛮菓子なのですが」
説明すると同時に全登は
「用意しますね」
有無を言う暇を与えずに手土産を盛親に押し付けた。



勝手知ったる他人の陣屋。
とばかりに手馴れた様子で全登が茶を用意してくる。
けれど、未だ盛親は外の冷気に当てられていた。
「盛親殿?」
全登の呼びかけに盛親は反応を示さない。
彼は首を傾げた。
御盆ごと畳に置くと、全登は盛親に並んだ。
そしてそのまま横から顔を覗き込む。
反応無し。
彼は次に盛親の前方に投げられた視線を追った。
特にこれといったものは無い、と全登は思う。
何を見ているのか。
思ってみても尋ねる事はせずに。
ただ横に佇み、全登はしばらく所在無さ気にしていた。
ややあって。
「虹、は・・・見えないのだろうな」
独り言のように零れた言葉。
全登はつと盛親の表情を見た。
視線を感じてか盛親も全登を見返した。
「少し前に貴方がした虹の話を思い出していた」
その一言で全登は全てを納得する。
「虹の橋、で御座いましょう」
「・・・うん」
静かに頷くと盛親の視線は再び前方へ向けられた。


ある時。
全登は今この時のように盛親の元へ押しかけてきたことがあった。
その時も盛親は押し切られたのだが。
本格的な冬の到来はなく、盛親は障子を開け放っていた。
すると運良く虹が見えた。
これを見て全登が、
「ぱあどれが申しますには、信仰とは関係無いが、彼の故郷に伝わる話だと」
と前置きをして語り出した。
その内容は。
穢土と浄土の境、浄土の少し手前に虹の橋がある。
死せば人間も動物もそこに行くのだと。
しかし皆一人では橋を渡らない。
特別な誰かを待ち続けているのだという。
そして一緒になるべくして生まれた誰かと出逢い、共に橋を渡っていく。


朧気ながらも盛親は思い出した。
「この季節、もう虹は見えないのだろうな」
繰り返し呟くと全登が苦笑した。
「今戦が起これば、極楽浄土へは行けないとお考えでしょうか」
「・・・」
ほんの一瞬思案するような表情をしたがすぐに盛親は、いや、と静かにかぶりを振った。
「浄土へ行こうとは、思わない」
「ならば冥府へ?」
その問いに再び盛親はかぶりを振った。
「では何処へ」
「俺は、ただ、」
そこで盛親は言葉を詰まらせた。
良い言葉が浮かんでこないらしかった。
「ただ、虹の橋のたもとが見たかっただけだ」
「確認したかったということでしょうか」
全登の言葉に盛親は目を伏せた。
「そうかもしれない・・・」
消え入る様なその声に、全登は背を向ける。
部屋に目を向ければ、
御盆の上に置かれた湯飲みはもはや冷えているようだった。
「盛親殿」
声を投げつつ、全登自身は部屋へ入った。
盛親が振り返る気配を感じ、全登は静かに微笑した。
「全ての思い煩いの元を、主の前に差し出されませ。・・・さすれば主の平安が、あなたの心をイエスにあって守られることでしょう」
「またデウスとやらの話か」
部屋へ戻ってきた盛親が呆れたように言った。
「嫌ですか」
「嫌、というか」
言い掛けた瞬間、全登の瞳が輝くのを見て、盛親は眉間に皺を寄せた。
それを見てすぐに
「嫌だ」
と言い直した。
「見えないものに目を注ぐ事も、大事ですよ」
あからさまに残念だというため息をつく全登。
困った様にしたが、ふと思いついたように盛親は手土産だと渡されたものを彼の前に置いた。
「これを食べるのだろう。茶を淹れ直してくる」
言って盛親は御盆を持った。
「そうですね。冷えてしまいましたし」
「やはり淹れ立てが美味しい」
「ええ、本当に」
立ち去る盛親を見送ろうとした所で、全登ははたと気付く。
「話題の転換を図りましたね」
「・・・何のことだろうか」
じとと見つめてきた全登に、盛親は意地悪く笑ってみせた。









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反転で呟き。
「虹隠れて見えず」。
虹のたもとに、いるだろうか。それとも。
2008.11.25