「あー・・・」
もはや扇を動かすことも嫌になって。
だらりと力なく倒れこむ。
暑い。
ただその一言が幼い身体を駆け巡る。
いっそ寝てしまおうかと彼が思ったその時、床が揺れた。
複数の、いや大量の紙が落ちるようなそんな音を彼は聞く。
なんだろうとうっすら瞳を明けようとした瞬間、
「せっ仙丸様!?」
「どこか具合が悪う御座いますか・・・っ!」
がばりと抱き起こされ、仙丸は僅かに眉を顰めた。
「ぅ」
「仙丸様・・・っ」
仙丸が半目を開けばそこには男が二人。
一人は目の前に。
もう一人は斜め後ろで立っていた。
ひどく心配そうな顔をしていた。
しかし仙丸にとっては迷惑この上なかった。
余計暑い。
畳にべったりとくっついているほうがまだ涼しい。
それを伝えようと思い、仙丸はゆっくりと口を開く。
「・・・あつい」
「熱でもおありかっ」
「どっ、どう致せばよいのか藤堂殿!」
「私に聞かれても困ります!」
少し違うように受け取られた。
まるで父親の初めての子育て宜しく男二人は揃って慌てている。
その隙に仙丸はもそもそと高虎の腕から逃れた。
障子で日が遮られている部分まで四つ足で移動すると、くるりと振り返った。
男二人はきょとんとしていた。
仙丸はすっと人差し指を前方へ伸ばす。
それは何度かからかった男へ向けられた。
「しげはる!すずしくなりたいっ」
「は、」
指された男、重晴は一瞬意味がわからずにぽかんと口を開けた。
仙丸は先ほどよりも少し声量を上げた。
「なんとかして!」
「・・・はっ」
はやくはやくと急かされて、重晴はとりあえず廊下へ飛び出して行った。
後には高虎が残る。
彼は心配そうに仙丸に尋ねた。
「お熱は・・・?」
「ん、大事ないぞ。あついだけ」
そう言って仙丸が顔を綻ばせると高虎も安心したように笑った。
「すずしくなれるもの・・・か」
重晴は盛大にため息をついた。
幼い仙丸にすずしくなりたいと騒がれ部屋を飛び出したものの、重晴には何も考えが無かった。
思わず出てきてしまったとまたため息をつく。
目的も無く廊下を歩きながら、
子供の頃は、何をして涼んだだろうか。
重晴は己の幼い頃を思い出しつつ、頭を捻り続けた。
「そういえばよく水遊びをしていたな」
ぶつぶつと呟いていると、ふと重晴は思い立った。
ああそうだ。
水を仙丸様の元へ持って行けばよいのだ。
「でもどうやって・・・?」
ひとり自問自答を繰り返しながら、重晴は歩く。
その姿は、はたから見れば随分と可笑しかった。
「たかとら」
「はっ、はい」
ふいに呼ばれて、高虎は思わず扇を動かしていた手を止めた。
眠っているかのように見えた幼子が高虎を見つめていた。
何を言うのかと待ち構える高虎を気にもかけず、
「ん」
仙丸は扇を動かし続けて欲しいのか、高虎の腕を掴んで上下に振った。
「あぁ、すみません」
その手の小ささに驚きつつも高虎は再び扇ぎ始めた。
涼しそうに風を受ける仙丸が
「ちちうえは、暑くないのかのう」
と、高虎を上目遣いにみやった。
どういうことかと高虎は首を傾げた。
「いつもすずしそうにしている」
合点して高虎は微笑んだ。
「本当は暑いんですよ、御父上様も」
「そうなのか?」
「我慢していらっしゃるのです」
「がまん・・・」
考え込むように唸る仙丸。
やがて答えに行き着いたようでぱっと顔を上げた。
「わかった!暑い暑いとさわぐばかりではめいわくだからだな?」
「暑さはどうしようもないですから」
にこりと笑う仙丸に高虎も微笑んだ。
しかし先ほどの事を思い出したのか仙丸はふにゃと眉を下げた。
「しげはるにはすまぬことをしてしまった」
「いえいえ。彼なら仙丸様を涼しくして下さいましょう」
「本当か?」
半信半疑な顔で仙丸は高虎を見上げた。
高虎は悪戯じみた顔で笑う。
「仙丸様がなんとかして涼しくしろとおっしゃったのではないですか」
「むう」
「なんとかしてきますよ」
その言葉に仙丸は納得して、扇からの風に目を閉じた。
今日はいつにも増して暑い。
少し外に出ようと部屋を立った秀長は空を眩しそうに見上げた。
せめて雲が太陽を覆ってしまえば少しは涼しくなるものを。
そう思いつつも、彼は百姓の頃を思い出して首を横に振る。
この太陽からの恵みで作物は大きく育っていくのだ。
と、
何か聞こえた気がして彼は数度瞬きをした。
どこから聞こえたのだろうと辺りを見回すと、重晴がこちらに向かってきていた。
悩んでいる重晴は不覚にもぶつぶつと内容が口から漏れていたのだ。
ゆったりとした歩調で秀長の方へ迫ってくる。
しかし一向に気付く様子は無い。
それが秀長の悪戯心をくすぐった。
彼は口端を持ち上げた。
手を伸ばせば届く距離まで詰めた瞬間、
「わっ!」
声を上げ両肩をバシンと叩いた。
「ひぁッ」
重晴は大袈裟なほどに驚いて尻餅をつく。
わけがわからずに見上げた彼の視線の先には彼の主が。
「ひでながさま・・・っ!」
暑さだけではない汗を流しながら重晴は口を魚のように動かした。
その様子に秀長はふき出す。
やがて重晴の顔に不満が表れ始めると、
秀長は腹を押さえながら、すまんと一言添えて手を差し伸べた。
とんでもないと首を振り振り、重晴はその手を固辞して立ち上がる。
「秀長様は存外悪戯がお好きですな」
重晴がむっとした顔を秀長に向けると、彼はくつくつと笑って
「だからすまんと言っているだろう」
すっきりとした顔を向けて秀長はある疑問を口にすることにした。
「それにしても、随分と神妙な顔をして一体どうした」
「は、それが」
畏まって、けれどため息に満ちた説明を重晴は語った。
少し可哀想にも思えて秀長は、
「私にまかせよ」
にっこりと、首を傾げる重晴に笑いかけた。
秀長に先導されてきたのは物置だった。
重晴はしきりに頷く。
どうして思い浮かばなかったのか。
不思議なほど簡単なことを。
「なるほど。これに井戸の水を」
「この大きさならば十分だろう、ね」
「はい」
古ぼけた桶を抱えて二人は井戸へと向かう。
その道筋で重晴はふと桶を見つめた。
「この桶は、一度修復されておりますね」
古ぼけたとはいえ多少新しい木材が数個使用されていた。
「ああ、その桶は」
秀長が懐かしげに目を細める。
「長浜城にいた頃に、な」
微笑をたたえて思い出話をはじめた。
その内容は随分と微笑ましい。
重晴もその情景を安易に浮かべることが出来た。
秀吉子飼いの者たちが同じように暑いと騒ぎ立てていて。
知恵の働く一人が桶を持ち出した。
そこから喧嘩騒ぎと見間違うほどの水遊びが始まった。
丁度秀長と半兵衛が廊下を渡る時、子らははしゃぎ過ぎていた。
二人が顔を見合わせたその時。
桶が宙を舞い一つ壊れた。
「それが義姉上思い出の品でもあってね」
秀長が桶をそっと撫でる。
「半兵衛殿が随分と脅かすものだから、私が代わりになんとかしようと」
結局義姉上は心広い方だったから大丈夫だった。
と秀長は笑い、その話は切り上げられた。
「しげはる、大儀であった」
「は」
にこりと微笑む仙丸に重晴は頭を下げた。
次に仙丸はとたとたと秀長の元へ小走りに、
「ちちうえも一緒に入りましょう!」
秀長の手を取った。
「はは。父には少し小さいかな」
苦笑しつつ秀長は仙丸に手を引かれて桶の側へ行きしゃがみ込んだ。
少し遅れて重晴と高虎が続いた。
水が襲ってくるとでもいうのか。
仙丸は恐る恐るその手を伸ばし、その冷たさに驚いた。
「ほら」
笑って秀長が水をぱしゃりと跳ねさせる。
跳ねた水は仙丸に向かって飛び込んでいく。
「ぴゃッ」
水を掛けられ身を縮込ませる仙丸に皆が笑った。
「あの桶を見ると、あの頃を思い出す」
しんみりとした口調で日陰に戻った秀長は呟いた。
庭では仙丸とその相手をする重晴が水に遊ばれていた。
「あの頃、ですか」
高虎はちょっと首を傾げた。
「長浜の頃」
微笑を向けられて、高虎も合点して微笑んだ。
けれど秀長の笑みは少し哀愁が漂う気がして。
高虎は何か話題を変えたかった。
そよと風が吹く。
庭に目を向け高虎は思い付いた。
「あの桶にはまた新しい思い出が増えますよ」
高虎の言葉に秀長は数度瞬きをした。
しっかりとした高虎の指先が桶を捉える。
「仙丸様と水遊びをした、と」
「そうか。・・・そうだな」
秀長は目を細めてその指先を見つめた。
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反転で呟き。
小話4つ分。
2008.8. 8.14.24.28