贖罪の山羊。


「真田殿は徳川方に親族がおられるとか」
「通じておるのやもしれませぬなぁ・・・」

ひそひそと、けれど隠す気はさらさらないような声音。
何度聞いたことか。
今度は真田が標的か。
いっそはっきりと声高らかに言ってしまえ。
こちらも反撃の言葉は十分持ち合わせている。
勝永が鋭く舌打ちした。
その模様の影で。
幸村はさっと青ざめ悲しげに俯いた。
しかしそれはとても一瞬で。


軍議は今回も、大した進展は見られなかった。



「あいつら絶対幸村のこと妬んでやがる」
勝永は音を立てて廊下を歩く。
盛親が眉間に皺寄せ、
「聞こえるぞ」
と窘めた。
効果は無かったが。
「幸村の戦功が羨ましいんだ。もしくは徳川の飼い犬だな!」
それはまるで土佐犬のようで。
斜め後ろを行く全登が彼の様子を見て苦笑した。
「あなたが腹を立ててどうします」
「だってよー」
むっと膨れて勝永は幸村を見やる。
幸村も視線を感じてちらと視線を合わせたが何も言わなかった。
「こいつが平ッ然としてるからさぁ」
「代わりに怒っているのか。なるほどなあ」
先頭を歩く又兵衛が笑い混じりに言う。
からかわれたと勝永が不貞腐れると皆くすりと笑った。

やがてそれぞれの方向へと別れた時、
己の足音とは別にもう一つ足音が続くのに盛親は気が付いた。
「何故こちらに」
盛親が怪訝な顔をして振り向くと全登がいた。
「あなたが何か話したそうな顔をしていたもので」
「・・・」
つい、と全登は屈託なく笑った。
そんな彼の行動には慣れたのか、盛親はただ軽く息をつくだけで終わった。
進行方向へと顔を向ける。
自然全登には視線合わせずの会話になった。
しばらくしても沈黙のまま。
盛親は観念して口を開いた。
「貴方も気づいていたはずだ」
「何がです?」
「幸村」
「幸村殿が?」
一歩近付き、顔を覗き込むようにして問う全登。
その顔にはどこか悪戯めいたものがあった。
盛親は眉間に皺を寄せる。
「軍議でのあの青ざめ様をみると、とても平然としているようには思えなかった」
「おや、よく気が付かれましたね」
「貴方も気づいていたはずだ」
より強調して盛親は言葉を繰り返した。
「・・・ええ。すみませんね」
流石に悪いと思ったのか、全登は申し訳なさそうに軽く、頭を下げた。
彼はどこか人を試すように訪ねてくる。
どこまで気を配りながら反応しているのかはわからないが。
盛親はもう慣れたと苦笑で返す。
それに全登も頷き微笑んだ。
そして。
私の考えでは、と全登は自身の顎に少し手を触れた。
「幸村殿は、内に溜め込む方に御座いましょう」
「そのようだ」
「敵方の策であるとしても気にはなるのでしょうね」
「誰もが又兵衛殿のようにはいかない」
「ご尤も」
同じような流言が又兵衛に関してもあった。
又兵衛はそのような流言を笑い飛ばした。
信じてもらいたい奴に理解されていればそれで良いと。
それを思い出して全登は目を細める。
黙然とした彼を眺めて、盛親はふと思った。
この方向にはもはや自分の部屋しかないはずである。
これはもしかせずとも。
「貴方は、どこまで付いて来る気なんだろうか」
「え?」
「え、ではなくて・・・」
ああまた貴方は俺の部屋に押し入るのか。
盛親はもう慣れた、慣れたのだと思いつつもため息が出た。
それを知ってか知らずか。
全登はのんびりと微笑んだ。
「菓子折りでも持参した方が良かったですかねぇ」
「その必要は無い。・・・あるから」
察しの良い全登ならばすぐにわかるだろう。
盛親は少し恥ずかしくなって語尾を弱めた。
「おやおや。それはつまり」
にっこりと全登は笑みを深くする。
顔を覗き込まれまいと盛親は歩く速度を速めた。





何かいる。
又兵衛はふと視線を感じた。
己の部屋に戻り、槍を取り、
さて稽古場にでも行こうかと立ち上がった時だった。
この空気。
誰であるかがわかる己に又兵衛は無意識に口端を上げた。
「どうした」
ゆっくりと振り返るとそこには予想した通りの姿。
「幸村」
反応を示さない彼に呼びかけた。
僅かに布擦れの音がした。
「・・・」
幸村は無言のままに又兵衛に近寄る。
嗚呼この顔は。
近付いてくる表情を見て、又兵衛は相手と己に向けた苦笑を深くした。

確かに面倒見の良い、父のようだと言われたことがある。
多少はその自覚もあった。
しかしまさかこの男に懐かれようとは。
いやただ単に自己陶酔的なだけかもしれない。
所詮、利用されているだけかもしれないのだから。

ぴたりと幸村の足が止まる。
又兵衛の思考もそれに合わせて止まった。
何か言うのかと又兵衛は身構える。
「・・・」
沈黙。
普段の雰囲気であるならば良いのだが。
あまり待つ事を好まない彼はすぐに痺れを切らした。
「勝永を頼らないのか」
その言葉に僅かに幸村は肩を震わせる。
表情はわからない。
彼の頭部を見やりつつ、まず反応を示したことに又兵衛は満足した。
「あやつは大抵そなたを庇っているではないか」
「迷惑、かけるから・・・」
「ふ。儂には迷惑でないと」
又兵衛は鼻で笑ってやった。
それを幸村は僅かに頭を持ち上げたが、またすぐに俯く。
先ほどと違うのは、
自身の着物を掴む手に力が加わった様子。
それを又兵衛は視界の端で見て取った。
何とも言い難い空気に包み込まれる前に、
「冗談だ」
又兵衛は破顔した。
「何であれ頼られるというのは存外嬉しいものでな」
歓迎するぞ、と幸村の肩を叩く。
幸村の表情が又兵衛にも見えた。


ほんの数分が経ち。
茶でもまぁ飲めと用意をさせ、又兵衛はどかりと座った。
幸村は静かに茶を啜る。
「少し聞いても良いか」
肘をつきながら、又兵衛は尋ねる。
幸村が頷くのを見てから、かねて思っていた事を口に出した。
我ながらしつこいとは思う。
しかし幸村の相手をするのが面倒だからというわけでもない。
ただの興味本位である。
「勝永ではいかんのか」
ゆっくりと湯飲みを置き、幸村は目を伏せた。
「勝永殿、は・・・優しすぎる」
「は。儂は厳しいか」
又兵衛がにやりと笑って見せると、眉間に皺を寄せ幸村は、
「適度に、意地悪です・・・」
厳しい方がまだ良い、と拗ねた。
それに又兵衛はくつくつと笑い返す。
「それは如何せんともし難いな」


ひときしり笑い合った後。
ふと思い出したように又兵衛が言った。
「そういえば、真田丸の時もそうであった」
「・・・?」
「そなたが徳川方ではないのかと、そういう話が特にあった時だ」
幸村も思い出したように ああ、と頷いた。
「城の外に出丸を築こうとするのは内通しているからだと」
「そんな話が、ありましたね」
「忘れていたのか」
「いえ・・・」
ゆっくりと幸村はかぶりを振った。
「・・・誰にも、邪魔されたくなかった」
「だから外に出たのか」
「誰も、信用出来なかったから」
幸村は包み込むように持っていた湯飲みを口に添えた。
それに視線を向けつつ又兵衛は、
「あの時のそなたの行動は全くもって自分勝手だったな」
意地悪く笑って見せた。
幸村は数度瞬きをする。
自覚が無いのか、しらを切るつもりなのか。
又兵衛は軽く息をついた。
「後から来てそこをどけとは」
「・・・そこが、良かったから」
「儂が用意した木材までちゃっかりと使いおって」
「あの時は、敵意剥き出しでした、又兵衛殿」
くすくすと幸村が笑う。
自覚あっての事か。
そう思い又兵衛は渋い顔をして、
「儂でなかったらあのようには収まらなかったぞ」
感謝しろと付け加えた。
「感謝、してますよ。・・・とても、ね」
「どうだか」
「本当、です」
その微笑みが嫌に胡散臭く感じたりはしたけれど。
彼はそういうものなのだと、短い付き合いだが又兵衛は妙に頷けた。
ふん、と鼻を鳴らすと、又兵衛はぐいっと湯飲みに残る茶を一気に飲んだ。
まるで酒を飲んでいるようだと幸村はそれを見つめる。
彼の予想に反して湯飲みは静かに置かれた。
「とにかく、誰それが内通しているなどというのは、」
幸村のペースとなると妙な居心地の悪さを感じる。
だからこそ又兵衛は話を戻すことにした。
「徳川が内部崩壊を狙っているのか、はたまた・・・」
又兵衛が視線を上げる。
幸村と視線が合った。
「味方が自責の念を免れんと、そなたを攻撃対象に仕立てているのか」
「それは、」
「そのような事をしたとて、現状から目を逸らしているだけに過ぎん」
人は弱い。
詮方無いのだ。
誰かを犠牲にして不安を抑えたかった。
又兵衛は半ば諦めたように笑う。
「だが少なくとも儂はそなたを信じておる」
「・・・」
上目遣いの幸村を又兵衛は見つめた。
「裏切りは無いだろう。自分勝手だが、とな」
その言葉にむっとする幸村を見て、又兵衛は口端を上げた。
「他にも、あやつらがおるだろう」
「あやつら・・・」
それが誰を指すのか、幸村にも何となくわかった。
自然、笑みがこぼれる。
これを見て又兵衛は、
「さて。慰められて満足したか?」
わざと恩着せがましく、にやりとして言った。
その笑みに似せて幸村も言う。
「貴重な時間を割いて頂き、恐悦至極に存じます」
「は。思ってもない事を言う」
「・・・」
返答はせず代わりに笑みを返し、幸村は立ち上がる。
そうして襖を閉める際、幸村の視界に又兵衛の槍が見えた。
「後で、お手合わせ、願います・・・」
「構わん。負かせてみろ」
随分と余裕なことを言う。
互いに不敵な笑みを浮かべて、襖は閉じられた。








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反転で呟き。
「あんこだまり」のあんこさんが素敵に描いて下さいました。
是非こちらから。
2008.9.21